ここからお問い合わせです。
お問い合わせはここまでです。
ここから本文です。
ぼけぼけ日記 (ブログ風?) 2004年5月 メインページへ
●月※日:晴れ
2004年5月31日
★ぎっくり腰になってから、ずっと腰に湿布を貼っていますが、先日はそれをはがすのをわすれたまま、シャワーを浴びてしまいました。ベッドに寝転んでから、「なんか背中がつめたいなあ・・・」と思ったら・・・。感覚が鈍くなってきているのも事実ですが、おいおい、気がつけよ!と寂しく自分につっこみを入れていました・・・
「ながさきけいこ」ウラ話・その1
2004年5月30日
★障害者にとって、大変なものが「二次障害」。今、私にもどんどん出てきています。
18年前に病院を退院するときに、「右下肢機能全廃をかばうため、腰痛、歩行困難、"強度のむちうち"による両手機能の低下、etc」もうええっちゅうねん!!!!というくらい、言われていたので、無理しないようにしてきました。
特に、この仕事に就いてからは、取材などで、1日中車いすに乗っていたら、翌日は半日休む、とか・・・。
横になっていると、痛みが少し、やわらぐのです。
「番組」収録に穴を開けたら終わりだと思って、自己管理を今まで以上に徹底してきました。
今は、歩行距離がどんどん短くなってきています。
両手の痺れが強くなり、握力もかなり落ちて、手に持っていたコーヒーカップなどをぽろっと落としたり、左足は「膝関節機能の著しい障害」で5級。手動車いすを自分で操作できるのは、建物の中だけ・・・。
どんどんできなくなることが増えてくる・・・そこで、筋肉をつけるために水泳を始めたりもしました。
水の中にいるときだけは、痛みがないことを発見してからは、1週間に1回はプールへ通うようになりました。
でも、とうとう、ぎっくり腰になってしまいました。
腰痛とは、すでに10年以上前からの「お付き合い」で、コルセットも常時着用していましたが・・・。
朝、起きようとすると、腰全体に激痛が・・・・
起きあがることができないのです。
でも、トイレに行きたい・・・。装具も着けられない・・・
目覚めて15分、激痛に涙しながら、松葉杖を二本使い、なんとかトイレまで行きました。
で・・・今度は便座に座れない・・・
ぎゃああああああああああああ!!!!!
洋式便座に横座りし、用を済ませると・・・今度は立てない・・・
ぎゃああああああああ!!!!
あさって収録なのに、どうしよう!!!
台本のチェックを今日中に受けなければいけない・・・。
しかも給料日前で、所持金は4,343円・・・。
病院に行けるのだろうか・・・。
至急、支援費制度でお世話になっている事業所さんに電話して、ヘルパーさんを派遣してもらいました。
そして、近くの整形外科へ連れて行ってもらいました。
顔面は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃです・・・。
レントゲン撮影の結果、「今は骨に異常はないものの、長年負担をかけてきたので、圧迫骨折を起こす可能性もある。とにかく安静に」と、神経ブロック(局所麻酔)を受けて、痛み止めの坐薬を処方してもらい、自宅に戻りました。・・・所持金は、43円になりました。
麻酔が切れると、相変わらずの痛みです。
そこで・・・。
NHK内にあるベッドをスタジオに持ち込んで、収録しました。ゲストのかたが驚いていましたが・・・。
重度障害のゲストのかたが、ストレッチャーを使い収録することはありましたが、キャスターがぎっくり腰でベッドを使うのは珍しい!!!!ということで、写真を撮ってもらいました。音声さんに(笑)
さて、ここで問題です。
私は、いつ、ぎっくり腰になって、ベッドで収録したでしょうか???正解者の中から抽選で1名様に「どーもくんストラップ」を差し上げます。
○月×日:雨
2004年5月30日
★雨の日の外出は車いすだと億劫だ。でも、病院には行かなければ・・・。
病院の鍵付き傘立てに、安物だけどお気に入りの傘を置き、ロックし、キーを取る。
治療を終え、会計も済ませて、傘を取ろうと、バッグからキーを出した・・・つもりが、なぜか右手はガムを持って、鍵穴に差し込もうとしている・・・。周囲をさりげなく見回すと、おばちゃん数人がくすくす笑ってはる。右手で握りしめていたガムを口に放り込み(ちゃんと紙類は剥がしました!)今度こそ、傘立ての鍵を出して、そそくさとその場を離れました。疲れてんねん、きっと・・・。
もし、あのまま、のんびりとした田舎町で住み続けていれば・・・
2004年5月29日
・1962年10月21日徳島県に生まれました。父は当時の国鉄職員、母は看護婦をしていました。母は二人目の弟が生まれて看護婦を引退。私とすぐ下の弟は、父かたの祖母に育てられました。
母と祖母には嫁姑の確執があったようで・・・。
そのせいか、母はある宗教にのめり込み始めたのです。それが後に我が家に大きな悲しみ、憎しみ、悲劇を招くことになるとは、思わなかった・・・。
・私が7歳の時に、父の転勤で愛媛県大洲市に移り住みました。その頃から母は、宗教活動を熱心に始めたのです。何かを探すように・・・。
父は、宗教には関心がまったくなかったので、母が、しょっちゅう私たち子供三人を連れて、宗教の集まりに出かけるため、離婚も考えたようでした。
そのうち、父も心の空白を埋めるため、ギャンブルに手を出すようになったのです。(後から知りましたが・・・)
ますます宗教にのめり込む母と、父の諍いは絶えず、幼かった姉弟三人は、ただただ、嵐が過ぎるのを待つしかなかった・・・。
私にとって、家庭は「安らぎ」の場ではなく、いつも両親の顔色をうかがいながら、その日その日を無事に過ごせることができればいい、というところでした。
・14歳のとき、再び父の転勤で、香川県高松市に移住。中学三年生での転校は、正直に言って辛かった・・・。
のんびりした田舎町・大洲市と四国の玄関口と言われた高松市では、何もかもが違いました。偏差値も、人々の考えも、生活も・・・。
人生に「もし」、とか、「たら」ということがあれば・・・一つの分岐点がこのときの父の転勤だったかもしれません。
もし、あのまま、のんびりとした田舎町で住み続けていれば・・・。
・しかし「もし」、も「たら」も後から思うことであって、当時中学三年生の私には、目前の高校受験をなんとかしなければ・・・という考えしかありませんでした。高松は、教育に熱心なところだったらしく、同級生は、自分の受験に必死で、転校生に関心を払う人はあまりなく、いじめにもあいました・・・。
あまり楽しい思い出は、ないですね・・・・。
勉強は得意ではなく、学校が決めた「安全枠偏差値」の高校を受験し、合格しました。
×月○日:強風の日
2004年5月29日
★電動車いすも、まっすぐ走れないような春の嵐。目に埃は入るわ、スカートはめくれるわ・・・一瞬、茶巾寿司状態になりましたが、周囲の人は知らぬ顔をしてくれました。
若葉マークの「ヤンキー・ナガサキ」の誕生
2004年5月28日
・しかし、高校生になってから、今も交流がある「悪友」たちと出会って、何かがはじけたのです。
「ヤンキー」と呼ばれるようになったのもこの時期。中学三年生でいじめにあっていた私は「力」がほしかった。(小学生の頃、ある子をいじめたこともあったのですが、そのときのFさん、ごめんなさい!)「悪友」たちと遊ぶことが楽しくて楽しくてしかたがなかった!!!
初めて喫茶店に行き「チョコレートパフェ」を食べたのも、なんと高校生になってから。当然、たばこを覚え、スカートは長め、鞄はぺちゃんこ、ヤキ入れなんかもやって・・・。(そのときの皆さん、本当にごめんなさい!!!また謝っています・・・・)
若葉マークの「ヤンキー・ナガサキ」の誕生です。
・実は、高松には競輪場があります。
父は、かなりのお金をつぎ込んでいたようです・・・。
母は相変わらず「宗教最優先」の人だったから、家族でどこかに旅行に出かける、といった「一家団欒」はなく、行くとしても、宗教がらみのことでの行事が多かったのです。
たとえば、東京で大きな宗教の大会があるから、行かせてください、と父にお願いするのは子供三人の役目でした・・・。
・母は、私たち子供がいやだ、と言うと、今で言う「逆ギレ」する人でした。
それを押さえるために、しょうがなく母に付き合って宗教を始めたとも言えます。私たちが宗教の大会に行っている間、父は競輪場や競馬場で遊んでたようです。
一緒に住んでいるのに、心がつながっていない母と父・・・。
・自分一人が取り残されたように思っていた父は、ギャンブルで大穴を当てた興奮が忘れられず、競輪場通いを続けていたようです。
しかし、ギャンブルでは、そうそう大穴などモノにできない。
いつしか「サラ金」に手を出すようになっていました。
そんなことも知らず、私は家では「よい子」を演じながら、一歩外へ出ると遊びまくっていました。
その頃住んでいた国鉄官舎が一階だったので、夜な夜な部屋の柵を乗り越えて、車で暴走したり、ディスコに通いつめたり、シンナーも覚えて・・・。
でも、なぜか補導されたことはなかったのです・・・。
運が良かったのか、または、その時に補導されて更正していれば、違った人生があったのかもしれない・・・・。
□月△日:晴れ
2004年5月28日
★手動車いすで、一人でJRに乗ったとき、乗車駅と、下車駅(終点)との連絡がうまく行ってなかったようで、駅員さんは誰もいない。段差は15センチほど。これなら自分でも降りられる、と、バックで降りたらそのまま転倒しちゃいました。すぐ、乗客の方々が起きあがれるよう、助けてくれましたが、曲がらない右足が「犬神家の一族」のように、にょき、と・・・・。
「パンツ丸見え」って、この年になっても恥ずかしいことを確認した。
今・・・・思うこと
2004年5月27日
・とにかく、殺人と覚醒剤、売春以外、「悪いこと」はすべてやったのではないだろうか・・・。様々な方々に、ご迷惑をかけてすみません!この場を借りて、あらためてお詫びします。今も、罪の意識に苛まれて夢にうなされることがあります・・・。(お詫びばかりですね・・・)
・ある日、母が交通事故に遭ったのです。
頭蓋骨骨折、脳挫傷・・・。
私は、泊まり込みで、母の看病をする一方で、遊ぶことはやめませんでした。
父は、母の後遺障害金もギャンブルにつぎ込んでいました。
生活は当然苦しく、私は、高校を中退して働きに出ることにしました。
その高校が嫌いだったこともあったし・・・。
・最悪のときには、夜逃げ(といっても徳島県の親戚の家に、数日、逃げただけですが・・・)もしました。そんな生活がいやになって、私は、家出をしました。1回目はすぐに見つかり、二回目は・・・・その二回目の家出の時に、交通事故に遭ったのです。
・その交通事故で、8回手術をしました。当然、何度も輸血をしました。
4年4ヶ月入院していました。
そのとき、母は「なんで輸血を拒否して死ななかった!」と私を罵倒しました。
・父の競輪場通いは、ずっと続いていました。
そしてついに、私の交通事故の後遺障害金も使い果たしてしまったのです。
・私が社会復帰しても、金銭をせびりに、会社の近くまで来て・・・結局、会社に居辛くなって転職することも一度ではありませんでした。
それでも・・・・両親を好きだ、と、今なら言えるのです。
もっと稼いで、お小遣いを渡したいと思う。
産んで育ててくれたから今の私がある。
厳しい現実が試練となり、それと向き合い、闘う勇気を与えてくれたことに、感謝したいと思うのです・・・。
・詳しくはこれから書き足していきたいと考えています。ゆっくりと、焦らずに、今の私を形作ることになった、ラジオでは言えないことなどを・・・・・。
本文はここまでです。
ここからお知らせです。
お知らせはここまでです。
ここから文字サイズ変更ボタンです。
文字サイズ変更ボタンはここまでです。
ここから最近・過去の記事一覧です。
最近・過去の記事一覧はここまでです。