・しかし、高校生になってから、今も交流がある「悪友」たちと出会って、何かがはじけたのです。
「ヤンキー」と呼ばれるようになったのもこの時期。中学三年生でいじめにあっていた私は「力」がほしかった。(小学生の頃、ある子をいじめたこともあったのですが、そのときのFさん、ごめんなさい!)「悪友」たちと遊ぶことが楽しくて楽しくてしかたがなかった!!!
初めて喫茶店に行き「チョコレートパフェ」を食べたのも、なんと高校生になってから。当然、たばこを覚え、スカートは長め、鞄はぺちゃんこ、ヤキ入れなんかもやって・・・。(そのときの皆さん、本当にごめんなさい!!!また謝っています・・・・)
若葉マークの「ヤンキー・ナガサキ」の誕生です。
・実は、高松には競輪場があります。
父は、かなりのお金をつぎ込んでいたようです・・・。
母は相変わらず「宗教最優先」の人だったから、家族でどこかに旅行に出かける、といった「一家団欒」はなく、行くとしても、宗教がらみのことでの行事が多かったのです。
たとえば、東京で大きな宗教の大会があるから、行かせてください、と父にお願いするのは子供三人の役目でした・・・。
・母は、私たち子供がいやだ、と言うと、今で言う「逆ギレ」する人でした。
それを押さえるために、しょうがなく母に付き合って宗教を始めたとも言えます。私たちが宗教の大会に行っている間、父は競輪場や競馬場で遊んでたようです。
一緒に住んでいるのに、心がつながっていない母と父・・・。
・自分一人が取り残されたように思っていた父は、ギャンブルで大穴を当てた興奮が忘れられず、競輪場通いを続けていたようです。
しかし、ギャンブルでは、そうそう大穴などモノにできない。
いつしか「サラ金」に手を出すようになっていました。
そんなことも知らず、私は家では「よい子」を演じながら、一歩外へ出ると遊びまくっていました。
その頃住んでいた国鉄官舎が一階だったので、夜な夜な部屋の柵を乗り越えて、車で暴走したり、ディスコに通いつめたり、シンナーも覚えて・・・。
でも、なぜか補導されたことはなかったのです・・・。
運が良かったのか、または、その時に補導されて更正していれば、違った人生があったのかもしれない・・・・。

