ナビゲーションをスキップします
ここから本文

ぼけぼけ日記 (ブログ風?)

父、倒れる・・・

2004年8月28日

★5月末、父が心臓発作をおこし、緊急入院をしました。
もともと背負っていた、莫大な借金を、肉体労働で必死に返していたため、
ある日、心肺機能が著しく低下し、一種一級の障害者になったのです。
それからおよそ10年。

高次脳機能障害の母の面倒を見ながら生活してきましたが
父なりに、心労が重なっていたのでしょう。
それが「心臓発作」という形で出てしまいました。
救急病院に運ばれた父は「ここで死ぬわけにはいかんのや!!」と
廊下中に響き渡る声で訴えていたそうです。
駆けつけた弟(長男)が、あとでそう話してくれました。

その頃、私は、ぎっくり腰で、収録もベッドで行うような状態でした。
今すぐ駆けつけたい思いもありましたが、
「今、姉ちゃんが来たら、病状がよほど悪いとオヤジが思うから、しばらく来んとって」と・・・・。
もっともな話しだし、様子を見ようと思い、ほぼ、毎日かかる弟からの電話報告で
父の様子を確認していました。

そして、もともとのかかりつけ病院に転院し、そこで、脳梗塞を併発したのです。
あのナガシマさんと同じ病名ですが、
受けている治療は、天と地ほどの差がある・・・。
このお盆に帰省した私はつくずくそのことを感じました。
(その病院は、私が事故を起こしたときに運ばれた病院だったのです
 顔見知りの看護師さんに何人も会いました)

心臓の持病がある患者の「脳梗塞発症予測」は、不可能だったのか?

発症から3時間もたってから発見されたことの意味は何か?

現在、二人の弟が、交代で、父の病院での世話と母の食事などの世話をしています。
そして、それぞれのパートナーも協力してくれています。
離れて大阪で暮らしている私ができること・・・・。

父は、毎週、欠かさずラジオを聴いて、一番に感想を言っていました。
「今日のは、難しかったのう」
「おもしろい音楽やったのう」
右半身麻痺と、失語症の後遺症が残る父から、
再び、番組の感想を聞ける日は・・・・きっとくると・・・・
それを思いながら、今日も取材に走ります。
(’04/8/28)

追記
毎年、徳島生まれの阿波女、ナガサキケイコは、家族で阿波踊りを見に行きます。
今年はそれをしませんでした。
来年か、再来年、私と父と、二人で車いすに乗って見物ができる日まで、
体にしみついたあの踊り、あの音楽はおあずけ、にしようと思いました。
一種の願かけ、かな・・・?

« 爆笑!桂こけ枝さんの「よさこい祭りリポート!」リスト9月5日放送「みんなでゆうゆうゆう」私の自己表現 »