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全国ネット初!?車いすキャスター&ディレクター(フリーランス!!)

MC-KEIKO キャスター長崎圭子

共に生きる社会を目指して、長崎圭子は今日も走る・・・!

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ぼけぼけ日記 (ブログ風?) 2005年3月 メインページへ

●1年くらいだったが
 「うつ」が改善されて「適応障害」に病名が変更になった、
 と、以前に書いた・・・・はずなんやけど、
 なんせ、ぼけぼけ人間やから・・・。

 それでも「閉所恐怖症」は治らず、
 最近は、映画館へ行くことができなくなった。
 「ラスト・サムライ」から、映画館とご無沙汰。
 いくら、ビデオやDVDになるのがはやくなったからといって
 やはり、大画面で見たい作品は多い。

 その一方で、深夜、
 結構マイナーな映画をテレビでやっていて、
 それをみる楽しみも見つけた。

 気が付けば、夜明けだったりするのだが・・・。
 明け方、少しずつ明るくなる空を見るのが好き。
 ああ、今日も生きて朝を迎えられた、という喜びと
 「台本」、進まへん!!!という現実と。

 日々、新しい発見ができる人でありたい。
 ゆくりでいいから、時には立ち止まっていいから
 自分らしく今日も生きていきたい。
 夜明けには、そんな思いを持たせてくれる
 何かが、ある。

 

●前回の「ぼけぼけ」はスカートをはくのを忘れそうになって・・・
 という、恥ずかしいものだった。
 今回は、またスカートネタなのだが・・・
 
 トイレに行って、出てくるとき、
 なんか後ろがヘンやんやなあ、って思ったら・・・
 スカートの裏地が、ガードルにひっかかって・・・
 はい、みたくもない人に、ふともも見せちゃいました。

 それ以来、トイレから出るときは
 しっかりと、裏地がひっかからないよう、
 ひつこいくらい確認しています。

 女を捨てたらアカンよな、まだ。

 

●25年前に始まった「3年B組金八先生」の最終回。
 パート1放送時「こんな先生がいたらなあ」って
 グレてた仲間と話をした。
 記憶に残る「先生」は、残念ながら私にはいない。

 ただ、入院中に出会った主治医の「先生」は覚えている。
 20歳の誕生日に花束を贈ってくださった先生たち。
 先の見えない不安を、怒りでしか表現できなかった私を
 温かく支えてくれた先生。
 退院後の心配もしてくれた先生。
 それぞれ、今は別々の病院に勤務しておられるが
 手術のあとをみるたびに思い出す。

 金八先生を見ながら、久しぶりに
 泣いている自分がいて、驚いた。
 「うつ」から「適応障害」になって、ずっと泣けなかったからだ。
 
 ティッシュを次々に取り出して、
 思い切り泣いたら何か憑きものが落ちたような気がした。

 笑って、怒って、泣いて。
 
 あのドラマを作り続けたスタッフに
 敬意を表したいと思う。
 一歩間違えば難しい問題に、常に取り組み続けたことや
 子供とはいえ、人を泣かせる演技をした出演者たち。
 プロだな、と。

 ああ、私の番組も、台本が待っている。
 現実に引き戻されながら、鼻をかむ。
 目は腫れている。
 明日はヘルパーさんが家事援助に来てくれる日。
 驚くやろな、この顔見たら。

●この件に関しては、連日、新聞、テレビで取り上げられて
 いるので、詳細ははぶくとして・・・
 今回、とても嬉しかったことがある。
 ニッポン放送の多くの社員が「ラジオ」を愛していることが
 わかった、と言う点。
 
 テレビと違って、マイナーなイメージを持たれている「ラジオ」
 好きだからこそできる仕事なのだ。
 私は、いつも、マイクの向こうにいるリスナーに、語りかける。
 聴いてくださっている方々を想像しながら、話す。
 
 取材中「な〜んや、テレビと違うんや、ラジオなんや」と
 バカにされることもあるが、電波を通じて、リスナーとの
 結びつきが強いことがラジオの特徴だ。
 何かをしながら聴けるラジオ。
 緊急時に役立つラジオ。
 孤独を共有するラジオ。
 ラジオを愛してやまない人が多くいることが
 なぜかとても嬉しかった。

 以前にも書いたことだが、私はラジオを愛している。
 がんばれ!ニッポン放送!!
 多くのリスナーが応援しているから!!!

 影ながら私も応援しています。
 ニッポン放送の、深夜放送を聴きながら
 大人になった人間だから・・・。
 私の憧れ・・・
 いつか、番組を持てたらいいなあ、という夢を
 持ち続けつつ・・・・。

 

★岐路

2005年3月22日

●つい、この間まで「お正月だああああ」と言っていたのに、
  3月も下旬に・・・。
  
  先日、高松に帰ってきました。
  入院中の父を見舞うためです。
  父は、病院を変わってからご飯を食べられるようになり
  言葉も少しですが出るようになっていました。
  地方の病院のレベルの格差を見せられた気がしました・・・。

  それと、弟の憔悴ぶりがショックでした。
  父の発病から間もなく9ヶ月。
  毎日、朝晩、父を見舞い、おむつ変えもする長男。
  毎週日曜日には、高松から1時間ほどのところから
  父の好物「うどん」を差し入れる次男。
  二人とも、大事な大事な弟です。

  ちょうど、この仕事を続けて行けるのか、
  という内面的・環境的な
  問題も抱えていた時期で、私にできるのなら
  この仕事を辞めて、高松に帰り、父の看護に専念しようか、
  とも思いました。

  それを、親友のWくんに相談したところ、
  「あえて言うなら、大阪で、もしくは東京で仕事を続けてほしい。
  あなたは、障害者の道を切り開く、あなたしかできない才能を
  持っていると思います。」
  と言ってくれました。

  私がいなくても、NHKは困らない、また別の人材を探すだろう・・・。
  でも、大阪に来てはや3年。
  それなりに人脈を作り、精一杯、「障害者の目線」で番組作りを
  してきたつもりです。
  いろんな人の期待も背負っています。
  それがときにはプレッシャーにもなりますが
  私の背中をぽん!と叩いてくれたのです。
  「気負わず、今のまま、少しずつ進歩していけばええやん」

  私が父にできることは、しょっちゅう元気な顔を見せること。
  弟にそう言われ、せめて金銭的な支援をしようと
  「営業」も必死でやっています。

  兄弟ってええよな。
  父にラジオを持って行き、毎週、私の元気な声を
  聴かせてくれるそうです。

  大阪と高松。
  近いようで、遠い。

  けれども心は繋がっている・・・。
  そう確信した私は、大阪でこの仕事を続ける決意を新たにしました。
  皆さん、どうか、こんな私を応援してください。
  ダメなところはだめ、としかってください。
  そうやってリスナーの皆さんに育ててもらおうと思うナガサキでした。

●前章では、高松の友人について書きましたが
 今回は、大阪へ来てからできた友人について
 書きます。

 あだ名は「ペンギンちゃん」(以下、略してペンちゃんとします)
 
 ペンちゃんは、NHK職員です。
 で、私が仕事をする上で、とても大きな存在の人です。
 今は東京に転勤になってしまいましたが、
 迷うと、ペンちゃんに相談します。
  
 実は今、仕事を続けていくのがとても辛い状況になっていて
 ペンちゃんにSOSを出しました。
 彼女は(女性だとわかちゃった!!!)
 厳しくも、的確なアドバイスをくれました。
 なかなか、厳しいことを、きちんと言ってくれる人は
 少ないよね・・・。
 ペンちゃんのアドバイス通りに行動できるか
 不安ですが、ラジオが大好きで
 この仕事を続けようと思うならば
 越えなければならない壁なのです。
 
 私は、このラジオの仕事に就く前に、
 いろんな職種の仕事をしてきました。
 製薬会社、百貨店、不動産関係、保険会社。
 そして、今はNHKに一応、机と席があります。

 どこの会社でも、「無理が通れば道理が引っ込む」
 というような仕事をする人がいました。
 でも、ペンちゃんは、自分を確立し、周囲をよく見て
 やりたい仕事をきちんとこなす、スーパーウーマンです。
 ペンちゃんみたいになりたいなあ・・・と
 思うナガサキ。

 なぜかというと、心の許容範囲が私は狭いのです。
 「筋」が違う、ということに対して我慢ができない、
 というか、そういう人を避けてしまうのです。
 それが、仕事をしにくくさせていることを
 ペンちゃんはずばり、指摘してくれました。
 
 ン十年、この性格で生きてきて、
 そういったことを変えて「大人になる」ことは、
 とても大変なことだけど、
 決して自分が正義の味方だ、なんて思っていないけど、
 ペンちゃんの明るい声は、私を勇気付けてくれるのです。
 「番組を愛して、最善を尽くしなさい」と。

 そのほかにも、大阪でたくさんの友人に
 恵まれました。
 一人じゃないんだな、と
 いろんな人に支えられて今の自分があるんだと
 再認識したナガサキでした・・・。

★ついに・・・

2005年3月 6日

●今年は風邪がはやっていますよね。
 私も、もう2週間以上、熱が下がらず
 鼻水、咳、くしゃみなどの症状に悩まされています。
 それでも、番組は作らなければならない・・・。

 3月6日放送「障害者の恋愛と性」は
 デリケートな問題で、取材も収録も編集も
 かなり、大変でした。

 で。
 編集2日め。
 あと、80秒、カットしたら完成!という日。
 出勤するとき、熱は8度5分でした・・・。
 そのとき・・・
 スカートをはかずに家を出ようとした自分に愕然・・・。

 これが終わったら、ゆっくり休もう・・・。
 そうして、休んみを取りましたが
 未だに風邪は治りません・・・。
 きっとぼけぼけも治らないのでしょう・・・。

★友人たち

2005年3月 6日

●四国・香川県高松市には、かけがえのない友人たちがいる。
 先日、骨折した、と一人に話したら、その日のうちに
 友人たちから?рェかかってきた。
 大阪で一人でがんばってる圭ちゃん、
 心細いやろなあ、と励ましの?р?くれたのだ。

 ミキ、洋子、エミ、ミック・・・
 この4人が私を支え続けてくれている。
 
 4年前「大阪に出てこの仕事をせえへんか?」と
 NHKのプロデューサーから、お誘いがあったとき、
 「チャンスやんか!」と、迷っていた私の背中を
 押してくれたのも、この友人たちだった。

 彼女たちとのつきあいは、高校生の時からだから
 もう20数年以上になる。
 (年齢、ばればれ)
 その間、いっぱいケンカもしたし、それぞれの人生にも
 いろんなことがあった。
 みんな、お互いにそれを知っている・・・。
 
 20年、と、一言で言っても語り尽くせぬ
 歩みがある。
 その重みは何物にも換えがたいし、
 その時間を共有してきたことは、
 かけがえのない事実だ。
 
 私がたまに高松に帰るとみんなが集まってくれて
 ミニ同窓会を開いてくれる。

 彼女たちと笑いながら、昔、こんな悪さをしたんよなあ、とか
 誰々が、こうだった、とか、そういう話をしていると
 あっというまに時が経つ・・・・。
 (年を取ると、昔話をよくする、って本当!!!でもええやん!!)
 一瞬、少女時代に戻り、共有してきた時間を
 再現することで、現在の苦境を忘れることが
 できるのかもしれない。
 
 みんな確実に年を重ねている。
 いろんな問題も抱えている。
 それでも、私たち5人が集まると、見えない絆を
 確認することができるのだ。

 大阪と高松。
 近いようで、でもすぐに会いにいける
 距離ではない・・・。
 でも、こころの距離は近い・・・・。 
 住んでいるところが離れていても
 気持ちはいつも繋がっている。
 
 皆さんには、そういう友人がいますか???
 私は、この友人たちを誇りに思っています。
 高松から、みんなが見守っていてくれる、
 と思うからこそ、いろんな辛いことにも耐えられる・・・。
 お金では決して買えないもの。
 友人。

 今度はいつ会えるんだろう・・・。
 その日を楽しみにしながら、今日も取材に走り回る
 ナガサキでした・・・。

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NHKラジオ第2(全国放送)

「ともに生きる」

放送時間:毎週日曜日
朝 8時〜8時30分
夜 7時〜7時30分
(再放送)

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