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ぼけぼけ日記 (ブログ風?)

父、永眠。

2007年7月28日

★平成19年7月23日(月)AM9:30

四国にいる弟(長男)からの第一報。

「オヤジがあかん、大阪から、帰る用意してくれ」

最初は、母に、「そのとき」がきたのだと思った。

両親ともに入院して、既に、3年以上が経つ。

先月末に見舞いに帰ったときは、母の弱りかたが異常だったので、朝、弟からかかった電話は、「母」だと思った。

が・・・。

父が3回目の脳梗塞の発作を起こしたようだった。

仕事関係の電話をかけ、1週間不在にしても大丈夫なように

手配をする。


★平成19年7月23日(月)AM10:03

四国にいる弟(長男)から、再度電話。

「10時ちょうど、逝ったわ・・・」

そうか。

携帯片手に、あちこちに電話をしながら荷物をまとめる。

難波のバスターミナルに着いたのが11:40分。

11:45分発の高松行きの席が取れた。

乗ってしまえば、あとは運んでくれる。

その間にも、長男から電話がかかり、お通夜・告別式をどこでするか、

親戚にどう連絡するか、打ち合わせ。

結局、父の生まれ故郷の徳島でおくることに決まり、

弟(次男)がバスターミナルにえ迎えに来てくれることになった。

帰りたかったであろう「家」で眠っているような父と対面したのは、

午後3時過ぎだった。

今にも起きそうで・・・でも・・・。

冷たかった。

ああ、逝っちゃったなあ、ほんま、よう頑張ったなあ、と号泣。

しかし、徳島に運ばなければならない。

寝台車に乗せて、さっき通った高速道路を、再び徳島を目指して走る。


そこからの話しは、経験のあるかたならおわかりかと思いますが、

ばたばたしっぱなし。

疲れも出たのか、告別式・初七日法要をおこなった水曜日から

風邪を引いて寝込んでしまいました。

火葬場に運んだときから、貧血起こして、見届けてないんですが・・・)

この場をお借りして、励ましてくださった皆様に、

厚く御礼申し上げます。

ありがとうございました。

父の体はなくなってしまいましたが、私たち姉弟の体に、心に、

父は生き続けています。

失った悲しみよりも、
無事に送ったという安堵感と、長い闘病生活から解放された父が

どこかで笑って見ているような気がして、今は、落ち着いています。

私の笑顔が好きだった父の、私への最期の言葉は、

「無理すなよお」

でした。

ぼちぼち、やっていきます。

ラジオで、元気な声を聴いてやってください。

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