★平成19年7月23日(月)AM9:30
四国にいる弟(長男)からの第一報。
「オヤジがあかん、大阪から、帰る用意してくれ」
最初は、母に、「そのとき」がきたのだと思った。
両親ともに入院して、既に、3年以上が経つ。
先月末に見舞いに帰ったときは、母の弱りかたが異常だったので、朝、弟からかかった電話は、「母」だと思った。
が・・・。
父が3回目の脳梗塞の発作を起こしたようだった。
仕事関係の電話をかけ、1週間不在にしても大丈夫なように
手配をする。
★平成19年7月23日(月)AM10:03
四国にいる弟(長男)から、再度電話。
「10時ちょうど、逝ったわ・・・」
そうか。
携帯片手に、あちこちに電話をしながら荷物をまとめる。
難波のバスターミナルに着いたのが11:40分。
11:45分発の高松行きの席が取れた。
乗ってしまえば、あとは運んでくれる。
その間にも、長男から電話がかかり、お通夜・告別式をどこでするか、
親戚にどう連絡するか、打ち合わせ。
結局、父の生まれ故郷の徳島でおくることに決まり、
弟(次男)がバスターミナルにえ迎えに来てくれることになった。
帰りたかったであろう「家」で眠っているような父と対面したのは、
午後3時過ぎだった。
今にも起きそうで・・・でも・・・。
冷たかった。
ああ、逝っちゃったなあ、ほんま、よう頑張ったなあ、と号泣。
しかし、徳島に運ばなければならない。
寝台車に乗せて、さっき通った高速道路を、再び徳島を目指して走る。
そこからの話しは、経験のあるかたならおわかりかと思いますが、
ばたばたしっぱなし。
疲れも出たのか、告別式・初七日法要をおこなった水曜日から
風邪を引いて寝込んでしまいました。
火葬場に運んだときから、貧血起こして、見届けてないんですが・・・)
この場をお借りして、励ましてくださった皆様に、
厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
父の体はなくなってしまいましたが、私たち姉弟の体に、心に、
父は生き続けています。
失った悲しみよりも、
無事に送ったという安堵感と、長い闘病生活から解放された父が
どこかで笑って見ているような気がして、今は、落ち着いています。
私の笑顔が好きだった父の、私への最期の言葉は、
「無理すなよお」
でした。
ぼちぼち、やっていきます。
ラジオで、元気な声を聴いてやってください。

