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全国ネット初!?車いすキャスター&ディレクター(フリーランス!!)

MC-KEIKO キャスター長崎圭子

共に生きる社会を目指して、長崎圭子は今日も走る・・・!

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プロフィール 2007年3月 メインページへ

今は遠い日。
物心ついてからの一番古い記憶は、母と祖母が口論している場面だ。
内容は覚えていないが、お互いの存在を否定しあうような、そんな口論。
父は、当時の国鉄職員(現在のJR)。
夜勤で家にはいない。
私は、双方から、「どちらの味方をするの」と詰め寄られ、
泣き出したように思う。
二人とも好きだった。
どちらかを選ぶなんてできなかった。

母は看護婦(当時の名称のまま書きます)で、勤めと
祖母との軋轢に苦しんでいた、のだろう。
新興宗教に救いを求めるようになった。
それがのちのち、我が家を切り裂くことになるとは誰も予想しなかった。

弟が二人生まれて、二人の溝はますます深くなった。
父が、徳島から愛媛に転勤となったとき・・・
母は、国鉄の官舎が狭いことを理由に、祖母を近くのアパートに住まわせた。
私が、3度の食事を運ぶ役目を受け持った。

おばあちゃん子だった私は、ひとり、暗い部屋でぽつんと座っている祖母をなんとかしたかった。
でも・・・
できなかった。
火鉢に手をあて、背中を丸める祖母。
「おこづかいあげるわ」
くしゃくしゃのお札をがま口から出す祖母。
長居すると母が怒る。
そそくさと祖母の部屋を後にする私・・・。

今もその光景を思い出すと、哀しくなる。
「ごめん。おばあちゃん・・・」
私は母に逆らうことなどできない気弱な子だった。
祖母の孤独が、今になってよくわかる。

楽しい思い出は、何故、ないのだろう。
記憶をたどっても、色あせた写真を見ても、
私は、笑っていない。

母はますます宗教へ傾倒、それを快く思わない父は、ギャンブルへと走った。

こういう環境で少しずつ大人になる課程で私は誓った。
「この家を出て行こう」

それが、道を踏み外す第一歩だったような気がする。

今日はここまで・・・
書いていて苦しくなってしまいました。
読んでくれてありがとう。

続きはまた今度・・・

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